それっぽいはなし -3ページ目

それっぽいはなし

ただただつらつらとかいてます。

懐かしいなぁと思う事は同時に、

その思いは新しく もうダメだと、

瀕死に平伏す態勢であっても、

もう万全、

何もかもなぎ払えと、

意気揚々に命令してみれば、

これは不思議とマイナスはプラスになるのである。



ましてや死にたいなんて思う時ほど、

満ち足りた生々しい営みを、

求めているのを、

僕も含めて、実は良く知っていない。




人は見た目じゃないなんて、

言わないけど、

そう言わないから、

人は見た目でもあって、

けれど、それは必ずしも中身だけじゃないことを、

誰もがなんとなくは知っている。


ただ、楽しいことは、裏と表がない。

本人がそう感じていれば。



雨が降っても傘をささないでズブ濡れたいと、

思う。


1回ぐらいはやってみたいと。

ちゃんと水着を着て。


こんな冷静さじゃだめでしょー。





これからのことで頭がフル回転。






辛いから明日になんてなって欲しくなかったり。









群れから、はぐれたい一心。






















と、考えてみるのが愛だとしたら


まっいいんじゃない。


と、歯に衣着せぬのもまた、本人にとっては愛でもあったりするし、


またそれは受取る側にとっても、それぞれであるから面白い。




何を基準に、物事は思慮されて進行してくのでしょう。


白が、白と理解できるのならば


そのきっかけをヒントに、


愛が、愛であることを理解しようとするのでしょうか。






こうやって考えるのが、好き、ならば、


人を好きになる、好きとは、同じなのでしょうか。


言葉の綾は、あやとりをする相手の取り方が十人十色であるように、


道具のような。


言葉のすり減り方が人それぞれ。
















寝て起きれば、

夜から朝になる脈絡の無さに、

驚いて、

午前中は面を喰らう。

午前中から午後への自然な流れで、

やっと正気に戻る。

けれども、午後から夕刻へ急ぎ足。

夜は真っ逆さまになる。

そこからの長い暗い世界。


これがなきゃ、眠りにくいし、起きにくい。


なんとも、世界はうまいこと、

人間もうまいこと、

全ては、うまいこといっているもんである。



投げる人と、打つ人。


これまたうまい。

これだ!ってものを、継続していると不安になって、


の繰り返し。


だから、どれが良かったのかとかは、実は憶えていない。


更なる不安。






誰かに監視されているような閉塞感。


怒りは、自分に吸収されて、悲しみへと感情が変動するシステム。


寝ても覚めても、


ボーっと憤慨してる。












かさぶたをチビチビとひっかいて、

あーまた血が出ちゃった。


って、けっこう好きです。


いつまでも治そうとしない傷。





子供の頃なら、傷なんて治るって、

ヒザやヒジを見ては、そう確信してた。



だけど、大人になった今は、

傷なんてそうそう癒えるもんじゃないって、

内側や目の奥を見ては、そう思わざるを得なくなった。






同じ自分なのに、なぜかな。

あんなに暑かった夏を、

こんなに寒くなった今と比べるように、

理由は、徐々に徐々に変わって、

全く別のもの、もう理由じゃないものに代わってゆく。













ちょっぴりどころか、

とってもさみしい。














別々。


嘘も真実も、

人によっては別。


ツボとか勘とかも。





だから言葉は、辞書通りにいかないので厄介である。


理不尽な理由で、決着されるほど憤ることはない。



墓穴を掘ったんじゃないし、

利害関係で暫定したんでもない。


川が流れる方向に沿って、

堰き止めなかっただけである。




どなたかが草案した策略や巧妙な手口は、

だれかにとっては、

たったの微塵も無い、角砂糖でも無い、

言うなれば盛り塩のような嫌味で受信されて、

それは、自分が死者であるように、

寄せ付けない呪縛を

自らで、唱え立てつけている。







全く以て、滅私奉公な丁稚奉公である。












言葉は目に見えないので、


どこを見ていいのか、分からなくなる。


それを、悟られまいと、必至だと


尚更に、隠せなくなる。


逆に、相手に知ってもらえば、


なんともなくなる。


いろいろと、悩んでいることは、


打ち明けることによって、


解消されていく。


けれど、


なぜかなかなかできないこと。


それを、やることがホントの意味での努力なんだって、


やっと憶えた。







嫌いの意思表示をするのは、

好きってことでもある。


あからさまに嫌だ!!

と、言えるものこそ、

自分にとっては、

ムシできない、何かひっかかる、

ただ好きって言うよりも、強いもの。



だから、嫌なことほど、覚えてるし、

嫌なことほど、実はそうしたいし、

そうさせて欲しいのである。



けれど、

その嫌なことも、

終わってしまえば、

なんてことないことだったり、

実際に出くわしてみると、案外と普通だったりして。



拒否反応は、抗体を作る第一段階。

そのあとは、慣れてゆくのみ。


途方もなく、嫌になることも、

その途方まで行ってみると、

特に嫌じゃなくなるのである。

その瞬間には、終わっていて、

また途方もなく、嫌になるのですが。。。


一度受け入れてみると、

受け皿が出来るので、

割れようが、何しようが、出来た事実を知っている私は、

ちょっと、否定しづらくなって、

っていう感じでちょっとづつ、ズレてズレていって

そのものを、全て受け入れる。


だからなんだと、他人をつつく。

のも、

ズレてズレて、ズレていけば、

他人が私にもなって、

つつかれてみて、解る。

つつかれてみて、幸福を感じたりする。

あー、ズレる前は、つついてた側だったなーと。


変に、成長じゃないのに成長として、見透かしてみたり。


どーにでもなれ。


どーにでも慣れ。