それっぽいはなし

それっぽいはなし

ただただつらつらとかいてます。


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こいつ、イケてる。


と、びびびっと来るタイプの偏りは


私生活のリズムと、似てるんじゃないか。




朝おきたら、これをする。


夜寝る前は、これをする。


あいつはイケてる。


その回路って、単純。




崩す、ってのは、


新しいとこへ行くこと。


新しい価値観や認識をつくること。


なんていうか、「ここで私は心地よい」


っていうのは、実はウソじゃないかと、猜疑心をもってみる。


そうすると、


ただ、この場に馴れていただけだったりする。


それって、実は、違うのだ。


だから、


何が合ってるのか、


ただ、人としてやっている多数派に流されているだけじゃないか。


と、考えて直してみる。


朝に起きて、夜に寝ることだったり、


毎日、お風呂に入ることだったり、


好きな人の、理由だったり。






そしたら、案外、私は、


思っていたのは、思い込んでいただけだったり。


それって怖い。


気付かないと。

























投げて、無くなるまでの間


どのくらい傷つくだろう。


どれくらい傷つけるだろう。


些細な変化に


巨大な穴をあけてみての


効果絶大な逆手を


格好の的だと射る正鵠。


そこまでの距離、約40里。


投げても届かないなら、


どうするのだ。


近づくのか。


近づけば遠ざかるそれとの距離、約40里。


変わらぬは


相手の位置じゃなく


私の歩み時速ではないか。


投げる速度を遅めて、


歩む速度を上げてみよ。











言葉は一人歩きをよくする。


考えてもいない言葉が、


きっと考えていたであろう、


生活とは違う回路から発露される。





パズルを完成させたいと思っている。


このパズルを完成させていたいと思っている。


ピースを探す作業。


ピースを当てはめていく作業。


それは、とっても時間がかかるであろうこと。


そして、実はうんと昔から、パズルが好きだったこと。


迷路が好きだったこと。


と、事実と、比喩と右脳的感覚で合点行く。






私は、変われない。


と、言うことに対して希望を持てるだろうか。


私は、徐々に変わっていくという、


老いのような忍び寄りに、スライドされて、


気付けば、


変われないと、


思っていた時の、変わろうとしていたものに、


なってやいなしないだろうか。




それは、すべってゆくような。


流れてゆくような。


誰かが、その通りと言った「なりゆき」による働きは


「本願他力」


で、全く、私は自力では悟れないと知る境地である。




結局は、空っぽなのだ。


そんなこんな。


ただ統合したい。

























9年前の日記を読む。


そこには、私がいて、


今日読んでいる、私がここにいる。


あの時から、ずっと私は私でしかなくて、


変わっているようで、変わっていない。


いつだって同じようなことを考え、


同じような服を買ってる。




趣味や興味は、派生して、


波紋は大分大きくなるけれど、


波紋が生まれた一滴の大元は


今だって変わってないよう思う。




悲しいくらいに、私でしかない。


私でしかいられない。




そして、目に見えるものは、消えてしまう。


どっかに、永遠に持って行けもしない。


だから、何が大切なのか、考え方は変わった。


モノじゃない。


もっと目にみえない、手に取れない、その時だけのもの。


それがやっぱり何より大切だと思えている。






それが9年間の違い。


















人と呑む。
しゃべる。

私は私を愛せていない。

それをどーすればいいものかと、
してる。
私を愛するのは、
どーすればいいのか。

またしても呑む。喋る。
どーでもいいようなことほど楽しくなる。
なーにもなかったけれど、
楽しかったってだけで満足する。
私を愛するにしたって、
そんな他愛もないことかもしれない。
私は
みんなそれぞれでいいと思ってる。
けれど
私は、あっそ
と思う相手と関わろうとしなくなる。
それは認めてるんじゃなくて、
勝手にどうぞ、
あーそうですか。
という、相槌で、
聞いてるようで聞いてなくて、
話してるようで、話されてる。

そんなことが9割。

1割の誰かと出会うと、
やっぱりどこかにいるんだ。
と、思える。
そー思えることは、
実は、

相手を否定することで生まれるかもしれないのを、
触れずに捨ててた私は、
考えと逆行してる。

いつでも、気づくと
灰色に囲まれてる。
私の色は?
と、探すことばかりである。
囲まれると、わからなくなる。

きっと、私は病気だ
きっと、私は異常だと
その度に思う。くりかえし。くりかえし。

けど、人はたくさんいる。
みんな考えは違う。あたりまえに。
いかにして
無駄な何かにとりつかれないで行けるか。
大切な1つを見失わないで
見つめていられるか。

それさえ出来ていれば
何が起きようと、
私の色さえ見えなくとも、
大丈夫じゃないか。

って、鳥渡の希望が咲いてる
泥沼の中で生きている。

周りなんて見なければ、希望だけがある。

久々に飲んで、
民間と公務員との差を、
知ったような、そんなでもないような。
結局は個人の問題。
と、そーおもう。

私はまたしても、
音頭をとる。
それは、やりたくて半分、
役目として半分。

そして、やっている自分に
安心半分
たのしみ半分。
黄金比とは、A:B= B : A+B らしい。
貝の螺旋や身体のバランス、仏像やピラミッド、植物などそーゆーのにある。
二乗の違いなだけで、共通してるらしい。

けど、そんなこと言うと、全てが黄金比に、思えてくる。
見えているもの全てが、なにか重力の力を借りて黄金比になっているように思えてくる。

それと、同時に黄金比にさえなればキレイ、美しいと感じてしまう価値観は果たして黄金なんだろうか。それは黄金でもなんでもなく、普通なんじゃないだろうかと。


どこかへ行くには、どこかへ行かないことも必要で。
今日は掃除。
ケーキ焼いて、やりたいことの、続きをやる。
生きてる間に何をしたいんだろうと、このごろよく考える。
本当にしたいこと。
生きてる間に。
今日は、こもる。

映画みようかと思ってた、
けど、見てない。

けど、やりたかったことはできてる。
それって言葉にはなかなかできへん。

そんな日。